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2011年03月16日

震災ボランティア一考

西宮市議会議員の今村岳司さんのブログより転載です。
http://xdl.jp/diary/index.html#20110313

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16年前に私は被災し、実家を全焼して失いました。
それいらい、私はよほど小さな地震でも、気分が悪くなるほど怖いです。
記憶よりさらに奥のところに、あの恐怖が刻みつけられている気がします。

今回の地震は、一瞬眩暈がしたかと思いました。
でも、周りで揺れているものがあったので、それは地震だとわかりました。
吐き気を抑えなければいけないほど気持ち悪かったです。
でも、まさか、これほどのことになっているとは思いませんでした。

いらい、日々仕事に集中していても、
何か腹の底に溜まっているような気持ち悪い感覚があります。
不安なことや面倒なことを抱えているときのような。
よくよく考えたら、それは東北の地震のことだ、とわかりました。

悔しくて、悔しすぎて、記憶から消していたことが、いろいろ蘇ってきて辛いです。

ひとつは、観光気分で来た自分探しボランティアの連中のこと。

彼らは、人から感謝されることを楽しみにやってきただけでした。
だから、汚れ仕事やしんどい仕事は何かと言い訳しながらやりませんでした。
彼らで集まって楽しそうに親睦を深め合っていました。
そんな彼らに「惨めな被災者」と扱われる屈辱。
何日か経ったとき、避難所のリーダーが耐えきれずに怒鳴り散らして
彼らを追い返してくれました。
彼らがいなくなっても、彼らに受けた屈辱は消えませんでした。

ひとつは、「家が焼けただけでしょ?」と私に言った大学教授のこと。

震災後しばらく経って、避難所を少しはあけても手が足りるかなと思ったころに、
大学に試験を受けられないと説明にいくために、京都まで出向いて教授を順番に廻りました。
ある教授はこういいました。
「ペンと本があれば勉強できるわけだし、もう電車も復旧しているから、
 試験も受けに来れるはずでしょ?家が焼けたからと言って、ねぇ。。」
研究室でものを投げ散らかして軽く暴れたあと、彼に
「おまえの家が焼けてもペンと本があれば授業をするんだな?」と言って帰りました。
部屋を出たあと、暴れたのは、目の前の豚を殺したかったからではなく、
被災者以外が被災者のことを理解してくれるのではないかと期待した自分の愚かさに、
腹が立ったからだとわかりました。

記憶の中の彼らは、単なる匂いのない記号として封印されていたのですが、
他人の絶望をエンタメにすることしか考えていない無神経なテレビを見ていると、
記憶の中で彼らは解凍され、また腐臭を放つようになってしまいました。

自分が育った家がなくなったこと、
小さなころの写真が一枚もないこと、
家族がぎくしゃくして不愉快なことばかりだったこと、
大好きだった街が廃墟になってしまったこと、
そんなことは、もうなんとも思っていないのに。

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私はこの地震で何も失っていない部外者です。
そして、この地震に対して何もできない無力な素人です。
ただの「被災していない人」です。
被災していない人間に被災者の気持ちが分かるわけがないのです。
分かるわけがない相手に分かったようなことを言われたりされたりすることこそが、
相手に「被災者の気持ちなんて結局誰もわからない」を痛感させます。
とにかく、自分にできることなど何もないことを受け容れることが必要です。
「何かしよう」という気持ちが、本当に自己満足ではないのか、よくよく考えるべきです。

政府の大規模な財政出動に理解を示すこと、増税を受け容れること、
節電など、政府の呼びかけに応じて、不便を受け容れること、
被災者の苛立ちや要望をただ受け容れること、
プロが呼びかけるボランティアや募金に参加すること。
これくらいが関の山なのです。

「被災経験のあるあなたに訊きたいが、被災地に対して何かできることはないか」
と友人に訊かれたので、こう答えました。

まずは、呼ばれでもしないかぎり、絶対に被災地に行かないことです。
被災地から出ようとする人、入ろうとする支援部隊や家族で
アクセスはただでさえ大混乱ですから非常に邪魔です。
統制もとられておらず装備もなく訓練も受けていない「ボランティア」は
ただの野次馬観光客です。何の役にも立ちません。
自衛隊は、食糧から水から燃料から寝具から、全て自前で用意して出動します。
しかし、手ぶらのボランティアは、
被災者が食うべきものを食い、被災者が飲むべき水を飲み、
被災者が寝るべきところで寝るのです。
完全に現場指揮に従うのであれば、
しかも生き地獄での救援活動に耐えうる技術と精神力を備えているのであれば、
行ってこればいいと思います。

次に、要請されないかぎり何も送らないことです。
何が不足しているかもわからずに送られてくるものは、千羽鶴と同じゴミです。
「着るものがないだろう」とボロを送られても馬鹿にされたと思うだけです。
水もガスもないところにカップ麺を送られても意味ありません。
現場に何が必要かを理解しているのは現場のプロだけです。
「○が不足しているのでどこに送って欲しい」という呼びかけに応えるのであれば、
ぜひ送ればいいともいます。

そして、ぜったいにこちらから安否確認の通信をしないことです。

安否確認したいのは被災していない側です。
被災していない側が安心したいだけです。
安否確認などされても被災者には何の益もありません。
安否確認で電話することは、
通信が復旧しきっていない情況で、
被災者でない側が安心したいがために通信を使用する行為です。

要はプロに任せることです。
16年前、遠くのまちの名前が書かれた消防車やパトカー、
そしてなにより規律正しい自衛隊が来てくれたときには、
ほんとうに嬉しかったです。
彼らは、これまでに見たどんな人間より気高かったです。
彼らはプロとしての技術を持っていましたし、
彼らは私たちに感謝されることなど求めていませんでした。
被災地に必要なのは、プロだけです。

私のところで学生のころ活動をし、
そのあと陸自の士官になった女の子が、きょうから災害派遣で被災地に行きました。
彼女は、明確に被災地に必要とされている人間です。
16年前の私に、人生を日本のために使うと決意させてくれた災害派遣の自衛官として、
彼女が岩手に行くことがとても誇らしいと同時に、
無力な自分の被災地に対する気持ちは、彼女に託すことにします。

被災地の復興と、自衛隊の活躍、そして、大切な友人である自衛官の無事の帰還を、
心から祈ることだけが、無力な私にできることです。
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神戸出身の私は、震災当時大阪で一人暮らしをしており、被害はありませんでした。
数日たって神戸行きの船が出ると聞き、半壊した祖父母の家に何か手伝えるかと行きましたが
全くこの一文の通りでした。

「手ぶらのボランティアは、被災者が食うべきものを食い、被災者が飲むべき水を飲み、
被災者が寝るべきところで寝るのです。」

祖父母宅に避難していた伯母達は、大阪から来た私の食事を作り寝床を心配しました。
それを深く考えず受けていた自分が恥ずかしいです。
当時の私は、意志も覚悟も準備も知識も経験もないのに親族がいるというだけで
安易に地獄の被災地に行っていたのです。

半壊の祖父母宅で、今は亡き祖父と二人っきりでとりとめのない話を夜遅くまでし
こたつで寝ました。

私が、大阪に戻った後 祖父が母に「哲司は、優しいな」と言ったそうです。
孫と過ごす時間でほっとするひと時ができたこと。
それが唯一の救いです。




Posted by テツジ at 10:23│Comments(6)
この記事へのコメント
僕もたまたま今日この方のブログを拝見しました。
支援活動についていろいろ考えさせられましたが、お祖父さんを勇気付けたテツジさんの活動は立派な支援活動だったと思いますよ。
Posted by gamagama at 2011年03月16日 21:29
>gamaさん
支援活動ですか。。。。 ほんと何も考えてなかったので特に何もしなかったんですよね。。。。
Posted by テツジ at 2011年03月16日 23:45
gamaさん☆

毎回コメントありがとうございます。
私もこの方のブログを読み、今までにないくらいいっぱい考えています。

答えがあるわけでもないのですが、考えたことをちょっと言っておきたいので、ここでコメントします。

阪神大震災の時、私の主人は本当に何も考えてなかったのか?
何も考えなければ、うちの主人は何も行動していなかったと思います。
家族のことを考えたから神戸に戻ったのです。
結果自分では何も出来なかったと、何もしなかったのだと言っていますが、だから家族に迷惑を掛けたのでしょうか?
gamaさんの言うとおり、私は主人のとった行動は支援活動だと肯定してあげたいと思います。

主人は人々に迷惑を掛けようと思って神戸に帰ったわけではないのです。、被災地の食べるべきものを食べ、飲むべき水をのんんだかもしれません。
でも、食べるべき食べ物、飲むべき水とはどこからどこのものを指すのでしょうか?
被災地にある建物が壊れて食べ物が食べれない状態にある人のことなのか、家族を失い、食べ物を調達できる人がいない人のことを言うのか、作る人がいなくなった人のことを言うのか、被災地とはどこからどこまでを指すのか・・・
よくよく考えると、だれもそのような線引きは出来ないのではないかと思います。このような事態で言う常識・非常識の範囲も私には判りません。

今回の震災で実際 宮城のお友だちは地震には遭いましたが、津波の被害はなかったそうです。
でも、ガソリンなどの燃料や食料品 などの制限はあるそうで、大変な生活を強いられている状況です。家はある人のことを幸せといえるのか、家がなくても家族が皆無事だということを幸せと呼べるのか・・・そんなことも含めて考えると、人はそれぞれ考え方や悲しみの深さは違うと思うのです。

支援活動をどこからどこまで・・・
物資の援助をどこからどこまで・・・
またボランティア活動の意識についてもそうですが、
時期早尚の過剰すぎる人・・・とは誰が判断するのか、プロの人の救助活動も、みんながみんなプロ意識をもって活動しているのでしょうか?そう思いたいですが・・・

千羽鶴は本当にゴミなのか・・・
ならば何故人はそのゴミを作り続けるのか?
私の故郷広島のあらゆる場所に千羽鶴が置いてあるのは、何の為か・・・
広島の人間は、被爆した人間はゴミだと思っているのか・・・

大多数の人がそう思っているからといって、それは肯定できるのか・・・してもいいのか・・・

水とガスがないところにカップめんが送られてきたらそれはゴミになるのだろうか?
それをどうにか被災した人たちに食べてもらおうと
もしくは自分達でナントカ食べようと努力することも必要ではないのか?

ボロでもいいから着るものが欲しい・・・と思う人は全くいないのか・・・

そしてみんながみんなプロの意識を持って活動しているプロなのか・・・
みんながみんな安易な気持ちで来たボランティアなのか・・・

だれも線引きは出来ないような気がします。

こうやって書いていてもよくわかりませんし、
私は被災してはいません。
何が正しくて、何が間違っているのかは私にも実は判りません。

でも、私は自分のとった行動に最後まで責任を持ちつつ、誰かに否定されようとも、自分の家族・身内には迷惑かけないつもりでいます。

                       なんママ
Posted by テツジテツジ at 2011年03月17日 22:46
@なんママさん
僕は被災した経験が無いのでわかりません。
自分が良かれと思って取った行動でも、もしかしたら誰かに迷惑をかけてしまうかもしれません。
ただ、力になりたい思いで取った行動が、相手の力になったのであれば、それは無駄な行動ではないと思っています。
Posted by gamagama at 2011年03月19日 00:06
gamaさん☆

毎度コメントありがとうございます。
私もgamaさんの意見に同感です!!!
自分の判断でとった行動にはちゃんと責任を取れるのであれば、それは無駄な行動ではないですよね!

美優ちゃんの募金の時もそうでしたが、たとえ万人に受け入れられなくとも、一人の人間が救えたら、それは
一つの幸せだと言えるのではないかと・・・。

                     なんママ
Posted by なんママ at 2011年03月19日 09:38
>なんママさん、gamaさん
被災直後の被災地は、一般の人の想像以上に過酷です。 それを知らず、善意だけで「今」「被災地」に赴くことには、反対です。 

被災直後に微力の助けしか出来ないのに、赴くのは費用対効果が悪すぎなのです。(ここでの費用とは、お金ではありません様々な必要なものという意味です)
Posted by テツジ at 2011年03月19日 21:29
 
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